日本史部会2011年度(9月まで)の活動

2011年度4月~9月の活動を紹介します。

9月例会の報告

 さて、8月例会はお休みですので、次回は9月です。

 1年目の悩みを参加者で共有して、目の前の生徒に合った授業づくりについて考えていきたいと思います。様々な困難な状況の中、日々苦労しながらも生徒のために努力している若手教師を応援するために、是非とも皆様ご参加ください!よろしくお願いします。

 

日時:2011年9月17日(土) 18:30~

場所:筑波大附属駒場中高50周年記念会館 

報告:1年目教師たちの取り組み

参加:9名

 

1.「生徒たちにとって収穫のある授業とは」

 私は今年から新米教師として高校1年の地理を担当しています。一学期を振り返ってみると、山積みの課題が浮かび上がってきました。そこで今回は、一学期の授業実践と、二学期以降の展望について報告します。主に取り上げることは、『生徒たちが社会科から少しでも何か得るための授業とは』ということです。私の所属する高校を例に挙げつつ、多くの先生方と考えていければと思います。

 また現在、地理の授業しか担当していないため地理の授業を通していの報告になってしまいますがご理解いただければと思います。

 

2.「生徒の実状に見合った授業づくり」

 私は、今年の4月から非常勤講師として高3を対象に日本史の授業を行っています。1学期を終え、テーマにある“生徒の実状”を知ったうえでの授業づくりが私の現段階の問題となっています。今回の報告では1学期の授業実践を報告し、それに対する授業を受けていた生徒の実状・私なりの反省・課題を踏まえ、また今後実践してみようと考えている授業を発表します。“どういった授業をすすめていったら良いのか”といった、授業づくりにおける根本的な部分に触れる報告になると思いますが、経験や考えを交えながら、皆さんと学んでいけたらと考えています。拙い発表になると思いますが、よろしくお願いします。

 

感想

◆いろいろな先生にアドバイスいただき、本当に勉強になりました。これからの授業作りや生徒への対応に生かしていきたいと思います。

 

◆今日はかなり緊張しましたが、本当に勉強になりました。授業で使える資料をたくさん教えていただいて、私自身ももっといろいろしっていかないといけないなと実感しましたし、歴史を見る目をもっと変えていかないと面白い授業は作れないと思いました。次の例会では良いものを紹介できるよう授業で色々やってみます。

 

◆報告を受け、参加者がそれぞれの経験を持ち寄って話をしました。今回の例会には、学生からベテランの教員まで様々なメンバーが集まっていたこともあり、多くの興味深い話が飛び出しました。議論が進む中で、高校以来お世話になっている先生(歴教協会員)からいただいた手紙の内容を、ふと思い出しました。それは「私自身も歴教協に育てられてきました」というものです。例会の会場を見渡してみて、教材研究はもちろんのこと、それ以外のことも、おたがいの顔を見て話し合えることの意味をあらためて感じました。どのような規模の集まりでも、それは同じことではないでしょうか。このような人と人とのつながりを、今後も伝えていけるようにと思います。


 

7月例会の報告

日時:2011年7月16日(土) 18:30~

場所:筑波大附属駒場中高

報告:①「特別支援級における博学連携の実践報告~お米の授業を通して~」

     (佐藤兼理さん)

    ②「高校生は資料をどう読んだか」(山田耕太さん)

参加:10名

 

感想

◆佐藤先生:実際に、土器に触れたり、お米を炊いて食べるといった五感を使った授業に、とても面白みを感じました。生徒たちが主体的に行う授業だからこそ、目的に反れた展開になりやすい場合には、展開をいくつか予測し、それに見合った目的達成への対応をしていく準備が必要だと感じました。そして、佐藤先生が行った授業は、博物館との連携による教育を繁栄させていくうえで、とても大切な授業だと感じました。

山田先生: “何が史実なのか”、このことについては教師自身もしっかりと自分なりの軸を持つことが必要だと痛感しました。また、教師として、授業においての様々な資料を集め、その中から生徒たちが学び・考えることができる資料をいかにして選ぶかといった作業が、どんなに重要なことかを改めて実感しました。(E)

 

◆山田さんが、生徒を受け身にさせず、思考力を養う授業を行ってらっしゃる様子が分かりました。数多ある資料をどう切り取り、扱っていくか・・・難題です。

 私が、「資料を読み解く難しさ」を感じた例として挙げた、「木村久夫」の遺書について、この場を借りて、補足させて頂きます。木村久夫は、1946年にシンガポールで戦犯として死刑となった、学徒兵(上等兵・28才)です。『きけ わだつみのこえ-戦没学生の手記-』(岩波)に収録されています。

 国民一人ひとりの責任、について考えさせるにはよい資料だと思って、生徒に感想を書かせたりしていたのですが、「処刑を免れるための自己弁護として、生前に読まれることを想定して作成した可能性がある」ことを指摘する説があることを知り、その後、資料として利用していません・・・。以下、「遺書」抜粋です。

 「私は死刑を宣告せられた。(中略)

 私は何ら死に値する悪をした事はない。悪をなしたのは他の人々である。

しかし今の場合弁解は成立しない。江戸の敵(かたき)を長崎で討たれたのであるが、全世界から見れば彼らも私も同じく日本人である。彼らの責任を私がとって死ぬことは、一見大きな不合理のように見えるが、かかる不合理は過去において日本人がいやというほど他国人に強いて来た事であるから、あえて不服は言い得ないのである。彼らの眼に留った私が不運とするより他、苦情の持って行きどころはないのである。日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば腹も立たない。笑って死んで行ける。(中略)

 苦情を言うなら、敗戦と判っていながらこの戦いを起した軍部に持って行<より仕方がない。しかしまた、更に考えを致せば、満州事変以来の軍部の行動を許して来た全日本国民にその遠い責任があることを知らねばならない。(以下略)」

 長くなりまして、失礼しました。佐藤さんの発表が最後しか聞けず、残念でした。(K)


 

6月例会の報告

日時:2011年6月14日(土) 18:30~

場所:筑波大附属駒場50周年記念会館

報告:「通史の中での国と民衆の取り上げ方を考える

      ―つくる会系教科書と「公共広告」にふれながら」(丸浜昭さん)

参加:10名

 東日本大震災後の公共広告への違和感、つくる会系教科書の採択に向けて展開される主張および教科書そのものの記述の問題点から始まり、政治的教養とは、それぞれの時代で何を学ぶか、国家と民衆とのかかわりを軸とした歴史の授業のあり方、歴史とは国家とは何か、だれのためのものか、いまをどう捉え、そしてこれから私たちは現場で生徒たちと何を考えていくのか…多様な、しかし根幹にかかわるような論点について議論をしました。

 

感想

◆今回の報告を拝聴させていただき、日本史の授業の中でどのように「日本」という言葉を使っていけばよいのか、自省するきっかけなりました。また、『中央は中央、政府は政府で、私達の生活には関係ない。』と、現在使われている「日本」という考え方を客観視しているような首都圏外の都道府県では一連の宣伝がどのように受け止められたのか気になりました。(O)

 

◆教科書にあれほど多くの「我が国」という記載があることに驚きました。「くに」という概念は今と昔では大きく違います。あたかも日本という国が、古代の流れで存在するというように教えてしまうということの怖さを知りました。(S)

 

◆教科書や広告という、私たちの身近にあるものにも政治的な関わりがあったなんて考えたこともなかったので、すごく新鮮でした。発表や意見をきいて"我が国"観について考えたとき、私はこれが誰の国を指しているのかという疑問を持ち、この違和感が支配者の側から語られた歴史と一般人から見る歴史のギャップなのかなと思ったりしました。また、作られた歴史だけを学ぶことに怖さを感じ、これからいろんな見方から事実を知っていって、見聞きする情報を"考えて"取捨選択できるような人に、そしてその術を伝えられるような人になりたいと改めて思いました。(高3生徒)


 

5月例会の報告

日時:2011年5月28日(土) 18:30~

場所:筑波大附属駒場50周年記念会館

報告:「冷戦秩序の誕生と崩壊」(高校)(藤本匡人さん)

参加:13名

 

 今年度より教壇に立った藤本さんの実践報告でした(藤本さんの勤務校は教壇のない学校ですが…)。冷戦という、いまの子供たちには今一つ実感のわかない、しかし現在の世界、日本を知る上で非常に重要なテーマに関する、高校の授業の試みについて、ご自身の迷いも含めてお話しされました。冷戦に関する「常識」に疑問符を投げかけるところから授業をスタートさせ、具体的な図説などを用いながら生徒の興味関心をひきつけようという意欲的な実践でした。

 参加者からは、前提となっている「常識」が生徒にとっての「常識」とはなっていない、一人一人の生活などがわかるような具体例をあげる、あるいは朝鮮半島などより身近なところから始め、もっと生徒の視点に立った問いを投げかけることで、もっと生徒を巻き込んだ授業になるのではないか、といった意見が出ました。

 当日は高校生の参加もあり、自分自身は大変深い興味をもって社会科の各授業に臨んでいて、今日参加してみて、先生たちは本当に色々なことを考えて授業をしてくれているんだと有難い、もっとちゃんと聞かないとと感想を漏らしていました。一方、周りの多くの友達はやはりテストがあるから聞く、論述などで出題されそうな部分のみ理解するといった、各校が抱える「テストの呪縛」に対する厳しい指摘もあり、私たちそれぞれの課題として持ち帰りました。

 いつもよりも多くの参加があり、議論も大いに盛り上がった5月例会でした。

 

感想

◆冷戦の「常識」を問うという視点で、今までの冷戦の扱い方とは違った全体像の提示を目指した授業の構成で、大変勉強させていただきました。自分自身が授業するにあたって「生徒と問いを共有する」にはどのしたら良いのか考えるきっかけを頂いた発表でした。ベルリンの壁の話など、生徒が過去と現在をつなげて身近に考えることが出来る、教師独自の教材を提示しながら授業を広げていくことが「生徒と問いを共有する」一つの方法かなと考えていました。(O)

 

◆自分の授業には多くの問題があるとわかっていながら、では何がどう問題か?と考えると自分ではわからない場合があります。みなさんに多くのことを指摘されて、自分の問題点がクリアになりました。とりわけ生徒との問題意識の共有という点では、それに対する自分の意識がいかに低かったかということを思い知らされました。(F)

 

◆「政経」「現社」「日本史」「世界史」のどの教科で扱うのであれ、現代世界(とりわけアメリカ)と日本のかかわりを知ることが、私たちが主権者としての役割をきちんと果たす上で不可欠だと、つくづく感じています。新鮮さのある意欲的な報告だったと思います。いっそう生徒の状況とかみ合う教材つくり、授業づくりをどう進めていくか、これからも学びあいたいです。(M)


 

4月例会の報告

日時:2011年4月23日(土) 18:30~

場所:筑波大附属駒場50周年記念会館

報告:わたしの授業開き

参加:11名

 

 2011年度最初の例会は、参加者が年度初めにどのような授業を行ったかを、プリントを持ち寄って紹介しあいました。8つの授業開きの実践例の報告がありました。本当に人それぞれで、でも皆さん、目の前の生徒を出発点にしている点では共通していたように思えます。

 

感想

◆年度初めの最初の授業、楽しいものあり、骨太の本格的なものありでなかなかバラエティーに富んでいて、聞き応えがありました。たまには、こんなふうにみんなの授業を交流し合うのもいいですね。(I)

 

◆4月から初めて教壇に立つことになり、”授業開き”と言っても何をすればよいのかわかりませんでした。他の先生方の報告を聞いて、”授業開き”において、これから学ぶ授業への関心を引き出す努力をされている印象を受けました。一方、私が行ったことと言えば、単に授業の内容や目標を説明すること、事務的な注意事項等で、生徒の関心を引き出すという肝心なことが出来ていなかったと反省しました。(F)

 

◆歴史地理教育の3月号臨増号に「新年度の授業開きのアイディア」という特集がありました。中高に限ると、「なぜ歴史を学ぶのか」とか「主権者意識を育てる」とか「歴史を学ぶときの視点」とか「愛と平和と人権の地理」というようなものが載っています。また、4月の歴教協「授業つくり講座」の際には、学大竹早の石戸谷さんから3.11にふれた授業開きの話を聞いてきました。石戸谷さんのこともあったので、実は、私の予想として、「地震・津波・原発」にふれた授業開きのオン・パレードになるのではと思っていたのです。結果は、地震にふれた人はベテランの中のひとりで、「若手」の授業開きは多様かつ、どちらかといえば「なぜ歴史を」とか「何を学ぶか」ということより、生徒のとの関係を大事にした学び方の工夫を題材にしている、という印象を受けました(違うかな?)。歴史(社会科)の授業つくりについていろいろな発見がありそうで、これからの例会が楽しみです。(M)